#神様からの力がある #新しい約束を日々実践する礼拝 #あかちゃんと互いに大切にしあえる母親圧倒的な体験は,記憶に残らない? 考えも、フラッシュバックになる 夜明け:悪い良心からの解放 改訂版 ルネサンス期は、人間性を解放したまでは良かった......
「発達トラウマ障害」Enpedia と
発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典 Weblio辞典
をご参照ください。
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今朝も,昨日までの流れで,訳し直しの続き。
Young Man Luther 『青年ルター』p.13,第2パラグラフの続き,p.14にはいります。
ゼーレン・キルケゴールは、ルターを、仲間に心から優しいスピリットの「心から優しい聖書の神様を心底信頼する人間 homo religiosus」だと,同じ苦しみをともにしながら,判断した人です。キルケゴールは書いています。そのキルケゴールは,あの魂に思い通りに繋がれると私が感じた,あの問いに対して,応えをかつて言っています,曰く,「ルターは、…キリストの居場所を魂の奥底に取り戻す,1人のパッションを生きた人(患者さん)です」と。文脈から切り離して,この言葉を引用する時,ルターのことを,治療「ケース」の意味で,「患者さん」,とキルケゴールは呼んだ,というつもりはありません。むしろ,キルケゴールは,ルターの中に,聖書の神様に繰り返し立ち返る態度(いまここに歓んで踏み止まる(患者さんであること)こと)が,聖書のはじめのやり方であると同時に,計り知れない影響があるやり方で,生きた善き証を示した,ということです。このキルケゴールの言葉を,この本のモットーにとする時,私どもの視野を臨床に限ったものにしません。私どもの臨床の視点を広げて,いまここに歓んで踏み止まる生き方に広げます。いまここに歓んで踏み止まる生き方とは,自分を生み出す苦しみを避けずに快く引き受け,世話されることがとても必要となり,(それから,キルケゴールが付け加えたことですが)「自分を創造する生みの苦しみを話し言葉にしたり,書き言葉にしたりすることが,『キリストを生きること』になる」心の習慣です。
キルケゴールの指摘した点は,ルターは聖書の神様を信頼して従う生き方をやりすぎたということですし,生きることのいまここに歓んで踏みとどまること(患者さん)をやりすぎたことですし,晩年は,「医者の見立て」には違っていました,ということです。(訳注:キルケゴールが書き加えたことで,しかも,)私どもが問わなくてはならない最後の問いを問うことによって,いまここを生きておられる聖書の神様に至る道が開かれます。
5年半ぶりの翻訳の続き。
「生きるはキリスト」を生きると,聖書の神様の心からの優しさと自由が溢れている関係(聖書では「神の国」「神の支配」と書いてある)の中で,自分の私も,相手の私も,お互いに創造されます。
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