身体の使い方が、自分や人の気持ちに対する見方に繋がってたり、人生に対する姿勢とも繋がってんですね。何故なんでしょうか?
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p42の第3パラグラフから。
結局、一人の子どもは、歩けるようになると、やりたいやりたいという感じで、あるいは、出来たという雰囲気で、繰り返し歩こうとしたり、うまく歩こうとするばかりではなくて、幼児性器期特有のでしゃばり通りに、他の人のパーソナル・スペースに、いろんな形で入り込んできます。このように、あらゆる文化圏で、子どもは「歩けるようになった者」の新たな状況や新たな立場に気付くようになります。だけれどね、この歩くことの意味には、相矛盾する意味があることが多いのね。すなわち、「歩けるようになった者」には、「遠くまでいける男の子」という意味もあれば、「眼を離せない男の子」という意味もあるし、「上手に歩ける女の子」という意味もあれば、「騒々しく遊ぶ」女の子になる、という意味もありますもんね。このようにして、歩くことには、発達の中でできるようになる、他のことと同様に、自尊感情に役立つものがあるはずです。この自尊感情は、人と分かち合うこともできるし、人の役に立つこともできる未来に向かう道を手に入れるようになれるし、その道の中で、心理社会的に自分を確かにさせるようにもなれる、という確信を反映したものです。
歩くことには、実に深い意味があることが分かります。歩くことに自信を得た子は、人生を豊かに歩くことができるみたいですね。
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