ルターは絶望のどん底にいた時、その絶望のどん底に落ち込む言葉に繰り返し戻っちゃた。戻らなきゃぁ良いのに、それがなかなかできなかった。
Young Man Luther 『青年ルター』p203の第2パラグラフから。
フォーゲルザンクはあんまり重視してないけれども、避けて通れないのは、詩篇は、ダビデが自分の敵、したがって、神様の敵を告発する詩だということです。すなわち、詩篇には、敵達の頭の上に、神の雷が落ちることを願ったり、敵たちの頭にも神の慈悲が下ることを願ってみたりする、心の揺らめきがありますね。「詩篇」第31篇には、ルターは無視しましたが、フォーゲルザンクが触れている聖句が他にもあります。それは、「彼らがわたしのためにもうけた / わなからわたしを助け出してください。 / あなたはわが護り手なのです」【関根正雄訳】という聖句です。
「詩篇」記者は、心がいつも揺れてます。それは、わたしたちの心がいつも揺れているのと似ています。しかし、「詩篇」記者は、その揺らぎの中で、神様を信頼する方に賭けてみること、その良さ、その素晴らしさを表現し、詩にしている場合が多いのはなぜでしょう?
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