癒しの時空 見当識の選択は人生の選択 加藤周一エリクソンが、解釈において感覚的な「感じの一致」を重視していたこと、通常は言語化することによって捨て去る感覚的リアリティを保持するために、言葉の選択にも気を配っていたことが分か...
今日のタイトルは、ご承知のように加藤周一さんの最後の著作であり、私の意見では、戦後「文学」の最高傑作と思われる著作です。丸山眞男さんの著作(『現代政治の思想と行動』、『日本の思想』)を学生時代に読んだ時も、震えが止まりませんでしたが、ずっとのちに読むことになった『日本文化のおける時間と空間』を読んだ時の体の震えも忘れることができないものです。これは思想史であると同時に、まるで臨床心理の本だと感じたからです。
加藤さんは、「日本国中で『鬼畜米英』と言っていた」のに、1945年8月15日の敗戦を境に、「『アメリカ一辺倒』になった。それが、大した摩擦、大した抵抗もなく、割とスラスラとかわったんですね」。それで、「日本人の心は、どういう仕掛けになっているのか、それをハッキリさせる必要がある、と考えたわけでね…」と、NHKのインタヴューに応えています。その答えを出すために、『日本文学史序説』、『私にとっての二〇世紀』などの著作を書いてこられたと考えられます。そして、亡くなる前年の2007年に出したのが、この『日本文化における時間と空間」なのです。
日本文化の「土着思想の基本には、『此岸性』と『集団志向性』を考えた」(p261 あとがき)と加藤さんは言います。その「此岸性」は、過去からも未来からも切り離された「今」の強調。歴史を顧みず、未来に対するヴィジョンに乏しい「今」。その「今」は、他者や将来を気にせずに、「自分が得をする今」となりやすい。しかし、それでは、子どもを教育することなど、夢のまた夢。なぜなら、教育くらい、ヴィジョンが必要な生業は、ほぼないから(最もヴィジョンが必要なのは、宗教と≪信頼≫)。
その「今」を超越するために、私どもはどうすればいいのか? それが今ほど問われている時代も、日本にかつてなかった、といえるほどの「いま」です!
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