エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

フロイトの大間違い その2

2014-06-15 06:00:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 フロイトは、一方で無意識を明確にすることによって、デカルトの「コギト エルゴスム われ思う、ゆえにわれあり」という近代哲学と科学的知の前提を根底から覆したのにもかかわらず、学問として、物理学をモデルにした近代知にとらわれていたのですね。

 今日はp33最後の行から。

 

 

 

 

 

この興味深い間違いは多分、フロイトが極端な男尊女卑の考えがあったから余計にひどい間違いになったのでした。つまり、フロイトは男尊女卑の考えがひどかったので、「セックス」そのものは男性的であって、女性独自のセックスがあるなとどは思ってもみなかったのです。フロイトはこの考えを『性理論に関する3論文』の中で次のように述べています。「リビドーとは、通常『男性性的』であり、それは男であっても、女であっても変わらない」と。この形式が姿を見せるのが、フロイト理論の合理的な形式です。この形式によれば、幼い男の子はお母さんを「去勢された男」として経験しますし、女性自身は、男性性器がないことに対する様々な代わりを探すことになります。しかし、現実には、女性は去勢された男ではありませんし、女性の性は女性ならではのものであって、「男性性的」ではありません。

 

 

 

 

 

 フロイトが間違ったのは、男尊女卑の考えが強かったからだといいます。考えてみれば、当時の学会も医学界も、男性が圧倒的多数を占める男性中心だったはずですから、しかも、それは「権威ある」環境でしたでしょうから、フロイトといえども、その影響から自由ではなかった、と言えるのでしょう。

 そうすると、現実は素直に受け止めることはできません。「男尊女卑」という考えに合うものに歪んでしまいます。エリクソンの議論の中で、「世界は複雑すぎるので、そのままでは理解するのが困難であるからこそ、『単純化』が生じる」と言っていたのが思い出されれますよね。その「単純化」があるときには、大抵現実は歪められてしまう。フロイトでさえ、「男尊女卑」の考えによって、現実を歪めた理論を作り出してしまったのでした。

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