2013-08-17 02:29:02 | エリクソンの発達臨床心理
精神分析、いや、心理療法の役割がハッキリ示されました。無意識の記憶にべっとりくっ付いている「憎悪」と「激しい怒り」を、「共に見る」中で、光に変えていくのです。しかし、それは、私どもがそうするのではありません。私どもは「共に見る」だけで、光に変えるのは、その「憎悪」や「激しい怒り」を抱えているクライアント本人です。
大人の務め。それは子どもひとりびとりを価値あるものと認める≪日常生活の礼拝≫(ritualization)を、子どもと共にすることです。換言すれば、それは子どもの遊び相手になることです。しかし、それは遊び半分でできることでは決してありません。大人の本気が問われているんですね。
親愛なる友人である、准教授のお母さん、待っていますね。
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