中世のカトリック教会は、天国よりも地獄の方が現実味があったらしい。
Young Man Luther 『青年ルター』のp188の第5パラグラフから。
ホイジンガの分析のおかげで、私どもは免罪符の問題に向き合うことになります。実在論は、この世の「穢れ」に対して超自然的な現実味を与えることになったように、恵みそのものに、金勘定を持ち出すことになりました。無意識と神秘主義が金にもゴミにもなる、極端に両価的な神秘に対して、天にも昇るし、地にも下る、垂直性を確立しました。熱心な業で天に宝を積むという考え方は、昔のものでしたが、貯えを教会が売り出すことができる、という資本主義的な解釈は、公的には、1341年になって初めて、公認されました。
実体論も、なんでも実体化すればいいと言うもではないですね。恵みが免罪符を売り買いすることで取引できる、と考えることが、その最も情けないことですね。
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