「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
Childhood and Society p.111から。
子ども等の患者さん等から,アメリカインディアンに話題を転換して,現代の真理探究の伝統的な方法を振り返ります。現代の真理探究の伝統的な方法は,今の複雑な大人の社会の辺境にある分野で,人間が生活する際のいろんな指針を,簡単にお示ししようというものです。心の病みの実像をよく調べることも,人間が生活する際のいろんな指針が判る分野です。フロいさんは,クリスタルがその目には見えない成り立ちが判るのは,クリスタルが壊れたときだ,と言っていましたっけ。子どもの頃の遊び場で私どもが見つけたいと願ったのは,いつものパターンです。何もないところから大事なことが,一歩一歩育ってくることをよく見ることで,いつものパターンが見つかることもありますし,比較的簡単なことから,比較的違いが解かるものをよく調べることで,いつものパターンが見つかることもあります。結局,人間の赤ちゃんの頃の育ちの根っこに戻ることになりますね。育ちの根では,人々は,時には子どものように単純に見えることもありますし、また別の時には,気が違った人みたいに何かに取り付かれたみたいに見える場合もいります。子どもの遊びをみる分野の比較研究によれば,人の目を引く類似点がたくさんあります。しかし,人が残忍になるのは,子どもであったり,病気の大人であったりするからだとして,両者の類似点に付け入って結論としようとする試みが、人々に誤解を与えてきたことは明らかです。私どもが了解しているのは,アメリカ先住民の人たちには,彼らなりの大人の証があると言うことですし,かれらなりの心の病もあると言うことですし,最も大事なのは,彼らなりの多様な子ども時代があると言うことです。
この数十年に至るまで,躾は人類学が扱ってきませんでした。アメリカ先住民の中で暮らしている人類学者たちでさえ,彼らが躾を筋道正しく行っている,とは見ませんでした。
相手の立場に立つのが,いかに難しいのかが判ります。
しかし,躾自体を関心事にすることが,「エリクソンならではの要素」なんでしょうね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます