人を大事にする際にはまず、客観的であることが大事なのは、非常に意外ですよね。
p109下から6行目途中から。
あらゆる形の心の病は、客観的には、極端なほどに、なれないことを示します。なぜなら、正気を失っている人は、自分の心の中のことだけが唯一の現実になってしまうからですね。それは恐れであったり、願望であったりするんです。心の外側の私どもすべては、心の中の世界のシンボルにすぎず、心が創り出してものにすぎません。夢を見ている時は私どもも一緒です。夢では、出来事をでっちあげたり、ドラマを作り上げたりしますでしょ。夢は私どもの願いや恐れが現れたものなんですね。私どもは眠っている間は、夢が作り上げたことが、起きてる時の現実同様にリアルだと確信してんですね。
心の病の時だけ客観的になれないわけじゃないでしょ。恐れや不安、過剰な期待や願いがあった場合も、現実をありのままで見ることが難しい、ということは、日ごろ私どもが実際に経験していることでしょ。
ましてや、自分の外側のことでさえこうなんですか、自分のことになったら、なおさら客観的であることは難しくなりますもんね。自分を客観的に見ること、それが内村鑑三が『羅馬書の研究』48講で述べている「謙遜」です。
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