The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p87の、下から3行目途中から。
もちろん、≪私≫から≪私たち≫や≪彼(女)ら≫へと至る、代名詞が、十分な意味を帯びることになる、その発達の文脈を素描することは、とっても大事なことです。それは、この代名詞が十分な意味を帯びるのであれば、いろんな感覚器官との関係であろうが、いろんな体位やいろんな感覚との関係であろうと、世の中に対するいろんな見方にある、時空の性質との関係であろうと、構いません。
エリクソンは、加藤周一さんみたいに、難しいことを実に分かりやすく、言ってくれますね。私の価値を実感することを、≪私≫という人称代名詞を、いろんな場面で使うという、至極日常的な生活の中に位置付けてくれんですからね。「私は…と思います(考えます)」と言うことは、とっても大事ですね。
もちろん、そのためには、日ごろから自分の頭で考えて、自分の考えに従って生きている、ということが前提です。そうでなれりゃぁ、「私は…」ということが、単なる思い付きになっちゃうでしょ。
それとは対照的に、≪私≫という人称代名詞をあまり使いたがらない(日本)人は、それだけ、自分の価値を実感しにくい日常を生きざるを得ませんね。そういう人は、日常生活の中に埋没して、自分の頭で考えないのが習慣でしょう。考えることと言ったら、「何が自分に得か」の損得勘定位でしょうね。
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