科学も、非常にスピリチュアルな悦びを基にしていることが教えられましたよね。
p360の第2パラグラフ。
アインシュタインがこの文脈で「悦び」に触れたことから、「不思議」の役割を思い出すでしょう。その「不思議」を感じたおかげで、子どもの頃に、アインシュタインが科学的観察に向かうことになったものなんですね。また、その「不思議」を感じたおかげで、アインシュタインが別のところで言っているように、≪私≫や≪私たち≫から、≪それ≫に向かうことになったものなんですね。「不思議」には、真実を覆うベールを取り去る力があるんですね。というのも、「感覚が経験する世界は、奇跡と同様に分かりやい」と言う事実を知っていたからなんですね。そのおかげで、アインシュタインは、「スピノザの神」、すなわち、「存在するものが調和して秩序だっていることを示してくれる神」を分かち合うことができます。
子どもの頃に感じる「不思議」を感じるおかげで、虫や星や大地を知りたいと願う。レイチェル・カーソンの「ザ・センス・オブ・ワンダー the sense of wonder」、不思議を感じ取る感性の力そのものですね。不思議を感じるからこそ、子どもは葉っぱを、蝶を、風を、もっと知りたい、と願うようになるんですね。それが科学探求の最も根源的な動機でしょう。
ですから、「不思議」には実に不思議な力があるのです。
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