大事にしたい相手をみつけるのって、難しい人気があって、色気があれば、それはちやほやされ易い。でもそれって一時の事じゃぁないですか?残るものって何かしらね? p2の第二パラグラフ。 ...
ルターは、自分自身になること、≪本当の自分≫になることを、何よりも大事にしていました。
今日から、Young Man Luther 『青年ルター』p.251、第Ⅷ章 終章(エピローグ)に入ります。
終章(エピローグ 終わりの言葉)
ルターを引き下げて、信仰時代のあだ花として、陰のある偉人にしてしまっても、ルターの人生が真に意味することを、私どもが理解することにならないでしょう。ルター自身の言葉で確かめてみましょう。
「私は自分の神学をいっぺんに学んだのではありません。でもね、自分の神学を求めて、底の底を探さなくてはなりませんでした。そこでは、いろんな誘惑があったんですよ。」。1人の神学者が誕生するのは、≪いまここ≫を生きる時です。いいえ、我に死んで地獄に落とされた時です。考えたり、本を読んだり、あれこれ思索したからと言って、神学者になれるわけじゃぁ、ありませんからね。
オーセンティック authentic 。「本物の」、「確かな」と言う意味の言葉ですが、エリクソンの好きな言葉があります。このオーセンティックと言う言葉は、オートス αυτος 「自分自身」から派生した言葉なんですね。「我に死んで、地獄に落とされる」と、表面的な、この世的な、損得勘定の、自己中心の自我が死んで、≪本当の自分≫に生かされるようになります。≪本当の自分≫に由るから、また「自由」でもある訳ですね。
本物で、確かで、自由であることほど、人間にとって大事なものは、他には、ない
のですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます