エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

本物で、確かで、自由であること

2016-01-13 07:12:28 | アイデンティティの根源

 

 

 
大事にしたい相手をみつけるのって、難しい
  人気があって、色気があれば、それはちやほやされ易い。でもそれって一時の事じゃぁないですか?残るものって何かしらね? p2の第二パラグラフ。 ...
 

 ルターは、自分自身になること、≪本当の自分≫になることを、何よりも大事にしていました。

 今日から、Young Man Luther 『青年ルター』p.251、第Ⅷ章 終章(エピローグ)に入ります。

 

 

 

 

 

   終章(エピローグ 終わりの言葉)

 

 ルターを引き下げて、信仰時代のあだ花として、陰のある偉人にしてしまっても、ルターの人生が真に意味することを、私どもが理解することにならないでしょう。ルター自身の言葉で確かめてみましょう。

 「私は自分の神学をいっぺんに学んだのではありません。でもね、自分の神学を求めて、底の底を探さなくてはなりませんでした。そこでは、いろんな誘惑があったんですよ。」。1人の神学者が誕生するのは、≪いまここ≫を生きる時です。いいえ、我に死んで地獄に落とされた時です。考えたり、本を読んだり、あれこれ思索したからと言って、神学者になれるわけじゃぁ、ありませんからね。

 

 

 

 

 

 オーセンティック authentic 。「本物の」、「確かな」と言う意味の言葉ですが、エリクソンの好きな言葉があります。このオーセンティックと言う言葉は、オートス αυτος 「自分自身」から派生した言葉なんですね。「我に死んで、地獄に落とされる」と、表面的な、この世的な、損得勘定の、自己中心の自我が死んで、≪本当の自分≫に生かされるようになります。≪本当の自分≫に由るから、また「自由」でもある訳ですね。

 本物で、確かで、自由であることほど、人間にとって大事なものは、他には、ない

のですね。

 

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