良心と裁判 日本の裁判所の厳罰主義は、日本人の「恥」の深さ・強さの反映
前回の翻訳箇所では、「悪い良心」によって、人がいかに自分自身が分裂してしまうか、が説得的に、具体的に示されていたと思います。この「自分が分裂する」ことが、様々な心の病と戦争の根っ...
袴田事件のようなことがあると、日本の厳罰主義はずっと前からのことだと分かります。しかも、この事件において典型的に表れているように、「仕事バカ」がそこにプラスされると、犯人にデッチアゲられた人のことなどお構いなしに、仕事の〈成就〉のみが追及されてしまいます。「恐ろしい」ではちょっと済まされませんね。ネルソン・マンダラの27年収監でも過酷なのに、47年もの収監は、無期懲役、いやすでに死刑に匹敵する長さと言えるでしょう。
日本人は自分を出さないのが奥ゆかしさですが、それも、根源的信頼感、自己信頼と結びついたものでしたら健全でしょう。しかし、このような厳罰主義+「仕事バカ」「仕事中毒」があることを考えると、むしろ、根源的不信感と恥の深さと結びついているのが、自分を出さない、あるいは、逆に自分を出したいことの、心理的背景として、強烈に存在することが分かります。
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