やはり、「敗戦の日」には、丸山眞男教授のご登場が相応しいと感じます。
倫理は内面化しないと、権力化することになります。権力化した倫理は、人格障害、ビョーキそのものですが、どんな悪行、どんな残虐、どんな裏切りも、良しとする結果になる、という話で、日本的ファシズムの典型の軍部と「日本帝国」の話です。しかし、これは決して昔話ではないんです。
『丸山眞男集』第三巻から。
倫理の内面化が行われぬために、それは絶えず権力化の衝動をもっている。…(引用者註:倫理を権力化した連中は)慎ましやかな内面性もなければ、むき出しの権力性もない。すべてが騒々しいが、小心翼々としている。…慈恵行為と残虐行為とが平気で共存しうるところに、倫理と権力の微妙な交錯現象が見られる。
…そうした権威への依存性から放り出され、一箇の人間に帰った時の彼らのなんと弱々しく哀れな存在であることよ。
これが丸山眞男教授が、私どもにハッキリと示してくれた、日本の権力の周りの人たちの真の姿です。
子分に対しては色を付けるけれども、それ以外には、残虐も平気でやる。
エバっているけど、実は、哀れな存在。
今も昔と変わりません。
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