ルターもミセカケがお嫌いでした民主化のためには、間違いや「腑に落ちないこと」に対して、ハッキリ「NO」と言う姿勢が大事です。 Young Man Luther 『青年ルター』p.218の 下から......
Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること 意識、脳科学、治療』の翻訳。発達トラウマ障害(DTD)の子どもで、TRASCがあつてもなくても、早期治療するの限ります。
最終章の第7章、p.282の、下から4行目から。
トラウマを負わされたいろんな記憶に付き物の、恥という猛烈な経験があると、トラウマを負わされた人はひとりびとり、物静かな感じの人になっちゃいますし、周りの世界から切り離された感じがいつまでも、なくなりません。ひとりびとりの人生を物語で辿らずに、すなわち、その時点で過去・現在・未来に基づいた物語のことですが、その物語かないと、時間、思い、身体、気持ちのどれにもあい渡った筋がないために、「何でこんな目に遭わなくちゃぁ、ならないんだろう」という感じが、根っこにいつまでも残ってしまいがちです。
発達トラウマ障害(DTD)の子どもで、恥が強い子どもは、恐怖心や、激しい怒りが強い子ども比べて、目立ちません。その子は、物静かな感じの人、だからです。
しかし、その物静かな感じの子に、まさか! 「何でこんな目に遭わなくちゃぁ、ならないんだろう」という感じが、根っこにいつまでも残っているとは、ほとんどの人が想像もつきません。
私の経験から言ったら、怖がりの子や、激しい怒りの子より、物静かな恥の子が、一番重症です。
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