信頼には、自分が損をすることも覚悟するような勇気が必要みたいですね。いつも「自分が…」、「自分が…」という人だと、確かに、信頼もなければ、ましてや、自分が損する勇気なんぞ、かけらもないでしょうからね。
p117第2パラグラフ。
この勇気は、有名なホラ吹きムッソリーニが「危険を冒しても人を大事にしろ」とスローガンで用いたときに言った勇気とは、全然違います。ムッソリーニ流の勇気は、ヤケクソの勇気です。ムッソリーニ流の勇気は、人の命を破壊することに根差しているんですね。命を投げ出すのは、命を大事に思えないからなんですから。ヤケクソの勇気は、人を大事にする勇気とは真逆なのは、力に頼ろうとする気持ちが、命を信頼する気持ちと真逆なのと同じでしょ。
ヤケクソの勇気とは、カミカゼの、自爆テロの、秋葉原事件の勇気です。人と自分を殺すことになります。自分を大事にできず、したがって、「どうせ…なんだから」と言いながら、自暴自棄になってやる勇気です。何も信じられない勇気です。≪超越≫を知らずじまいの勇気です。
人を大事にする勇気は、アンパンマンの勇気そのものでしょ。クリスチャンなら、イエス・キリストの十字架の勇気でしょうね。ボンヘッファーがイギリスからドイツに戻ってきた勇気でもあります。自分の損は覚悟で、「社会的連帯のため」、先様のため、人様を助けるために、自分をお役に立てたいと願いながらの勇気です。自分が損することも覚悟できる勇気は、信頼が豊かな勇気であると同時に、≪超越≫のありがたさが身に染みている勇気でもあります。
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