真の改革は、敵をも唸らせるものがあるみたいですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.224の第2パラグラフから。
宗教改革と呼ばれる一大ムーブメントにとって、ルターがどんだけ大事か? ということに関して、歴史的な評価には、賛否両論、いろんな意見があります。こういったいろんな見方は、党派心に強く彩られていますから、ルターがもともと指導力があったと証言する見方もあれば、ルターのシンパは、ジョン・ウィクリフやヤン・フスのシンパに関する噂を、タイミングよく利用したものに過ぎないという見方まで、あるくらいです。シンパがいたおかけで、ルターが生き残り、力を持つうえで、天賦の摂理を確かにすることができましたし、ルターの敵たちが躊躇してくれるという形で幸運を保つこともできましたし、さらには、ルターが抵抗を最後までやり遂げることもできました。それは、当時を基準に従えば、ルターが何度も火あぶりにあって、命を落としてもおかしくない状況下でのことでした。
ルターは、こうしてみると、かなりラッキーだった、と言えるようですね。何度も火あぶり刑にあってもおかしくなかったのに、その危機を生き延び、力を維持したんですからね。ルターが幸運に恵まれたこと自体が、天与の摂理と見る人が現われてもおかしくないでしょう。
しかし、マルティンがルターになった時、ルターはこの種の幸運も、見通していた、と私は見ますね。
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