日本ですと、「お互いに認め合う」範囲が非常に狭いので、日本に生まれ育った人に中でも「ハジカレル」人が多いですよね。ましてや、外から日本に入ってこようとする労働者、難民、亡命者などへの壁も猛烈に高くて、ほぼ悉く「ハジカレル」訳ですよね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p72の最終行から。
≪自分を確かにさせる≫という対人関係を心理学的に見た考え方が、≪本当の自分≫、すなわち、個人の心の核になる考え方、と如何に関係深いのでしょうか? すでにご指摘してきたように、≪自分を確かにさせる≫という幅広い感じは、子どもの時期に経験するさまざまに変化していくセルフ・イメージに、徐々に一致するようになります(思春期に、これらのセルフ・イメージは、劇的にまとまる場合もあります)。また、≪自分を確かにさせる≫幅広い感じを若者たちが選択し、それに自分を賭けてみる役割をやってみるチャンスにも、徐々に一致するようになります。反対に、≪本当の自分≫というずっと続く感じは、意識的な≪私≫をいつでも経験することなしには、存在しえません。この意識的な≪私≫とは、いまここを生きる、ということから感じるヌミノース、すなわち、圧倒的な悦びの源なんですね。
≪自分を確かにさせる≫感じは、非常に幅広いものです。赤ちゃんから後期高齢者まで、感じることができるものです。外から着けるもので、赤ちゃんから後期高齢者まで似合う物って、そうそうないでしょ。ですから、≪自分を確かにさせる≫感じが、いかに大事かがそれだけでも分かりますでしょ。しかし、何と言っても≪自分を確かにさせる≫感じが大事なのは、≪本当の自分≫という、心の核になる部分を生かして生きる上では、なくてはならないものだから、ですね。≪本当の自分≫を生かすことができれば、今日のところでハッキリと、エリクソンが記しているように、圧倒的な悦びを感じて生きることができるからですね。心からの平安も、≪本当の自分≫が生かされているからこそ、毎日感じることができる訳でしょ。
あなたも、≪本当の自分≫を生かして、≪自分を確かにさせる≫感じを感じながら、圧倒的な悦びを日々味わってみたい、と思いませんか?
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