エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#体は殺さなくても魂は確実に殺すのが現代人の特色 #だから今のニッポン人はうそとゴマカシだらけ #つけ回しとしての座間の殺人事件 #回復したい組織や利害にとらわれない仕事人の見事な生き方

2017-11-03 04:31:37 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

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インターメッツォ: 神様の御言葉に耳を傾ける4つの方法
   自分を取り戻す方法 :≪感じ≫と≪話し言葉≫の一致から   「不思議」の不思議  科学も、非常にスピリチュアルな悦びを基にしていることが教えられま......
 

 今宵も,Young Man Luther 『青年ルター』p.210の最後から2番目のパラグラフから。10月31日

ルターは,信頼とは,相手が粘り強くされ,いろんな気持ちや思いを自由に表現できるようになる程,相手を利する経験だ(quanto expressius et intensius)と言ってますでしょ。でもね、相手がfrigidus 冷たく不快に感じれば,その相手の人は,利益を得られないだけじゃなくて,何だか随分と物足りないね」と強く感じるものでしょ。というのも、人間って、強い確信がないと、破壊的ないろんな手段を手にしたロボット,でしかないからですよ。

とやった,その続きから。気持ちを感じないで(体や心やなど,いろんな点で)平気で人を殺せる人間が,現代人,そのなれの果てが,座間の殺人事件の容疑者です。

 

 

 

 

 ですから,本気になとは, 信仰箇条の抗議プロテスト(訳注:宗教改革の発端になった,ルターの95箇条のテーゼ[https://ja.wikipedia.org/wiki/95%E3%83%B6%E6%9D%A1%E3%81%AE%E8%AB%96%E9%A1%8C])の問題ではありませんし,言うことが目立ことが,信頼があることの目印ではありません。本気になるとは,元気を取り戻すときに,人々が共に見るヴィジョンと心から一体になることです。つまり,本気になることは,自分の本能的な努力を上手に昇華することですし,神様によって組織や利害にとらわれなくなった,仕事人の見事な生き方になります

  ルターは聖書の言葉に耳を傾けるときには,従来の聖書解釈にとらわれない耳で,聖書の言葉に耳を傾けました。ルターの,従来の聖書解釈にとらわれない心の習慣には,2つの聴き方がありました。1つは,聖書からやって来る,イエス・キリストである言葉に耳を傾けること,もう1つは,イエス・キリストである聖書の言葉が,自分の中で響く響きに耳を傾けることでした。「神の言葉が,皆さんの腑に落ちるすべては,皆さんの心の習慣の中にあります」とルターは言いましたでしょ。ここで心の習慣とは,皆さんが心の中で本気に思っているすべてです。ルターは,この話をした時に,ルター自身が本気だったことが判っていました。自分が言ったこと(イエス・キリストである聖書の言葉)は,ルターが承知している意味で受け身になること(訳注:能動的に受け身の立場になる,という深い受け身になること)にふさわしいやり方で,言ったとおりに,ことをやり始めることでした。ここでは,「信頼と言葉が1つになり,分けがたいものとなります」(Der Glawb und das Worth wirth gantz ein Ding und unuberwintilich ding.)

 

 

 

 

 「信頼と言葉が一つになり,分けがたいものとなります」とは,平たく言えば,「言ってることとやってることが,おんなじ」ということです。

 子どもが,親や教員に対して,不平を言うことで一番多いのは,「肝心な時に,一緒にいてくれねー」と「言ってることと,やってることが,違うじゃねーか」です。

 また,悪魔の安倍詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たち,教育委員会や学校の教員ら,東電・東芝・日産・JR・神戸製鋼・東洋ゴム・旭化成…の人たちも「いってることと,やってることが,違うじゃねーか」でしょ。本田宗一郎さんや松下幸之助さんのような,組織や利害にとらわれない,仕事人の見事な生き方が,とうの昔に,ニッポンにはないでしょ。

 つまり,今のニッポンの大人たちは,本当の自分を生きていないし,本気になって生きていないんです。倫理が雪崩を打って崩壊し,ウソとゴマカシだらけになったのは,大人に本気がないからです。

 大人が本気を生きてこなかつた,悲劇的なツケ回しこそが,酒鬼薔薇聖人であり,津久井やまゆりの事件であり,座間の事件です。

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