エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

釜石小学校校歌 改訂版

2014-12-30 14:17:34 | エリクソンの発達臨床心理

 

 先日もこのブログで取り上げた「岩手県釜石市立釜石小学校校歌」を改めて取り上げて考えてみたいと思います。

 

釜石小学校校歌
           井上ひさし 作詞
           宇野誠一郎 作曲

1.いきいき生きる  いきいき生きる
 ひとりで立って  まっすぐ生きる
 困ったときは   目をあげて
 星をめあてに   まっすぐ生きる
 息あるうちは   いきいき生きる

2.はっきり話す   はっきり話す
 びくびくせずに  はっきり話す
 困ったときは   あわてずに
 人間について   よく考える
 考えたなら    はっきり話す

3.しっかりつかむ  しっかりつかむ
 まことの知恵を  しっかりつかむ
 困ったときは   手を出して
 ともだちの手を  しっかりつかむ
 手と手をつないで しっかり生きる  

 

井上ひさしさんの作詞。

これは、私が生きてある生活、パレーシア、連帯の、それぞれの大事さを詠ったものですね。それを今回再確認したいと思います。

1番。生き生き生きるためには、他の誰でもない「私」が生きていなくちゃなりません。誰かの子分になったり、力のある人にペコペコしてたんでは、「私」は生きられませんでしょ。誰かの顔色を窺って生きるんじゃぁない。それは「目をあげて」、「星をめあてに まっすぐ生きる」ことですね。地上を≪超越≫している「星」が目当て。なぜ、「太陽」でなくて、「星」なのか? それは、「困った時」は、この世は「闇」と感じやすいから。でもね、その「闇」の中にもきらりと光る「星」が必ずあることを、信頼する時に、「まっすく生きる」ことができるから。「闇の中の光」こそが、≪超越≫。その≪超越≫に素直に忠実に従って生きることが「まっすぐ生きる」こと。

 

2番。ハッキリ話すことは、パレーシアと言います。ギリシャ語で、バル(すべての)+レマ(言葉)から成るパレーシアは、自分よりも立場の強い人に対して、すべての言葉を包み隠さずに、ハッキリ言うことです。これは、民主主義のために必要不可欠なんですね。民主主義は、自分の1人の正義ではなく、自分たちの正義を実現するもの。自分たちの正義を実現するためには、アンパンマンのように、自分の顔をかじられるような損を覚悟しなくちゃなりません。でもね、「人間について よく考える」となれば、正義はそうやって、自分の損を覚悟に戦ってくれた人のおかげで、やっと今、手にしているものだということがハッキリ分かります。そして、いまここの正しさは、自分の損を覚悟しないと実現しないことが分かるから、自分も「はっきり話す」ことができるんですね。

 

3番。シッカリ生きるためには、真の知恵をしっかりつかむことが大事。真の知恵とは、処世術や、自分がなるべく得すること、とは全く違うでしょ。自分を≪超越≫する真理でしょ。それを掴めば、その真理に忠実に生きることが、日常生活になる訳ですね。自分が≪超越≫する真理に忠実であれば、自分を超えて仲間と連帯することも必然ですね。ですから、真理に忠実であればあるほど、より弱い立場の人たちとも、手と手を繋いで生きられるようになるんですね。

 

井上ひさしさん、最も難しいことを、小学生でも分かるようにしてくれた、天才です。

 

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