ハーロー教授の実験から、予定外に、「ひどく歪んだ母子関係が、人のビョーキの原因足り得る」ということが分かりました。今の先を言っていたことになります。エリクソンは、しかし、やはりハーロー教授のやり方には反対です。
p229第2パラグラフ。
これは長いお話になります。でもね、ハーロー教授の方法が示していることは忘れならないことは、ハーロー教授の方法を弁護しています。同時に、命ある存在に対する科学的な方法は、殺すのではなくて、いま生きている命に対して適切な概念と方法を用いてなされなければならない、ということを私どもが理解する、その境界線を教えてくれますね。私はそれをこんな風に言っています。物事の性質を調べる研究ができるのは、その研究対象「に対して」なにがしか大事なことをする場合だ、ということです。しかし、生きている命ある存在の本質を本当に理解できるのは、なにがしか大事なことを、その研究対象「と共に」、その研究対象「のために」した場合だけだ、ということです。もちろん、これは、臨床科学の原理です。
ここが、実験心理学や教育心理学などと、臨床心理学の違いでしょう。研究対象「に対して」するのが近代科学。研究対象「と共に」、研究対象「のために」するのが臨床科学。
近代科学、実験心理学から教育心理学までは、えてして、研究対象の利益に反することでも平気でやりがちで、同時に、研究者にばかり利益をもたらしがちでもあります。臨床科学、臨床心理学は、研究対象の利益のためにするものであって、研究者の利益を捨ててやる場合に、本物の研究ができる場合が少なくありません。
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