エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ガザと飯舘村のあいだ 「人間の尊厳」を巡る戦い

2014-12-08 06:12:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今日、ガザの弁護士ラジ・スラーニさんのインタヴューを伺いました。

 http://www4.nhk.or.jp/kokoro/

 スラー二さんのお話、ボンヘッファーやシモーヌ・ヴェイユなど、最前線で「人間の尊厳」を巡って戦っている人からだけ感じる、ある種の「光」と、その独特の「香り立つ感じ」を感じましたね。身が引き締まる思いを強く感じました。

 スラー二さんのお話には、簡単にまとめることの出来ない奥行きがあります。それは単に「政治的」な話に限られません。私ども臨床家が学ぶべき、「心理的」「実存的」な課題がスラーニさんのお話から学べると感じました。

 今日のブログだけでは、到底言い尽くすことなどできません。でも、その、ほんの一部を記しておこうと思います。

 それは、今日のタイトルにもあるように、ガザと飯舘村の共通性です。

 何が共通しているのでしょうか?

 1つは、そこに住む人が「難民」になっていることです。ガザ、日本のマスメディアはほとんど報道しませんでしょ。東西10km南北40km 東京23区の半分くらいしかない狭いところだそうです。そこに180万人ほどの人が暮らしているとも言います。1948年イスラエル建国以来、ガザはパレスチナ人居住区として、イスラエルから繰り返し攻撃されています。この夏も、ガザに対して激しい空爆がありました。その非人道性から、各国が非難したことは、日本でも報道されましたね。何千人もの女性や子どもが殺されたそうです。そして、多くの人がまた難民になりました。

 飯舘村。福島原発の「事件」のために全村民が避難せざるを得ない日々。いつ戻れるかもわからない。文字通り、飯舘村の全村民、約6,000人も、今や正真正銘「難民」です。

 もう1つは、ガザの人々も、飯舘村の人々も、難民にさせられたことの責任を、誰もとっていない点ですね。日本では、小さな会社が死亡事故などを起こした場合、たとえば、高速バスで大事故を起こした小さな会社の場合を思い出してください。何十人もの人が死傷した事件を起こしたあの会社の社長、逮捕され、その会社は解散させられましたね。それに比べて、東電は、あれだけの大事故、大事件を起こしておいて、1人の逮捕者も出していないばかりか、謝罪もなければ、放射能汚染を起こしたことに対する誠実な説明もないし、十分な賠償も行ってないでしょ。イスラエルもしかり。ついでながら、大川小学校の「事件」もしかり。

 もう1つの共通点は、「人間の尊厳」を賭して、ガザも飯舘村も「声を上げた」こと。権力者に都合に良い、泣き寝入りをするような「都合の良い犠牲者 good victims」にはならない、こと。スラーニさんが代表を務めるNGOパレスチナ人権センターが、ガザにも「法の正義」を実現させようとしていることと、飯舘村民の半分ほどの人々が損害賠償を申し立てたこと。どちらもあまり報道されてませんね。飯舘村の損害賠償申し立ての中心になっている長谷川健一さんは次のように言っています。「飯舘村民は怒っている。あまりにもおとなしすぎた。恩恵もなんもない放射能が降ってわいた。そういう矛盾に声を上げて東電に事故の究明や説明をちゃんとさせようということで申し立て団を結成した」。

 私どもは、このような「声」に心ひらく存在であり続けたい、と思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« モノ、カネさえあれば幸せだ... | トップ | ハーロー教授のやり口には、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿