エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#最高のギフト #心底からの安心と自由 #赤塚不二夫さんの境地

2019-05-16 06:44:57 | エリクソンの発達臨床心理
 
#新潟の女児殺人事件 #発達トラウマ障害 #殺したいと思っても自然ですから #人間らしい暮らしができる社会
 トラウマに対する基本的な見方 : 自動症    発達トラウマ障害の子どもをダメにするやり方は、罰とエサでコントロールするやり口だ   正しい翻訳が、正しい信頼......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

をご参照ください

The life cycle completed 『聖書の神様の命が一巡することができた』 p.87。 第2パラグラフ,下から7行目途中から,です。今朝は,p.88の第3パラグラフの3行目から。  

 

生きている実感があまりにも,驚きと感激に満ち溢れたヌミノースなものなんで,「生きている実感」は,結局は,晴れ晴れと生きるのが心の習慣になりますし,さらには,生きている実感リアルに自分を生きていることの不可欠の条件になります。同時に,2人か3人,心響き合う人間に発達するイメージ言葉を分かち合う者達だけがそれぞれの「生きている実感」から唯一の「共に生きている(共に居る)実感」の中で一心同体になります。…。

 「共に生きている(共に居る)実感」に関して,フロイトさんも,もっと言ってますからね。「間違いなく,ひとりびとりの人がキリストと一心同体にする絆が,ひとりびとりの人が互いに一心同体になる絆のはじめです」(1921)って。しかし,すでに触れましたように,フロイトさんがこう言ったのは,教会や軍隊のような「一心同体になる集団」についての話の中でしたね。しかしながら,人類皆兄弟姉妹に至る一心同体となる仲間全ては,親や創始者から,神々に至るまで,とても善いと感じる大好きな人と一心同体になる体験がなければ,ありえません。ですから,シナイ半島の上に現れた聖書の神様は,自分に語りか武人が誰かを応えなければならなかったモーセから問われて,「私は,今ここで生きている者だ」と自己紹介していますし,モーセに率いられたユダヤの民に,「『自分が生きている実感』である私が,自分が生きている実感皆さんにギフトとしてプレゼントしますから」と示しています。聖書の神様から「自分が生きている実感」を頂けると自ずから独立し不動になる自由な心こそ,一神教が進展した中心であることは,間違いありませんし,父なる聖書の神様は自分の仲間になって下さるし,最高の光を見ることに違いありません(エリクソン「生きている実感とキリストガリラヤ物語」1981)。

 ここで私どもが繰り返し甦ってくる思いは,赤ちゃんの時に赤ちゃんとお母さんとが,互いに大切にし合うことが,聖書の神様からの力がある,ということですね。それから,究極的には,お母さんは「聖書の神様」となり,人と聖書の神様とが互いに大切にし合うことが,聖書の神様からの力がある,ということになりますから,「聖書の神様が御顔を見上げて,皆さんの顔に光をプレゼントしてくださいますから,皆さんの顔を晴れ晴れと光らせて,皆さんに心底からの安心と自由もプレゼントしてくださいます」(訳注:旧約聖書の初めのほうにある「民数記 みんすうき」6章26節の引用)

 

 この民数記の話し言葉にあるように,聖書の神様は「下に立つ者」understandの存在であることがわかります。聖書の神様の方が私どもひとりびとりを見上げて」いるのですから。

 でも,これは,別にキリスト者だけの特権でも何でもありません。

 世間では単に,「アルコール依存症のバカ」と思われがちな赤塚不二夫さんのように,真に創造的な生き方をしているものは,聖書の話し言葉を文字で知らずとも,赤塚不二夫さんの心の中で,聖書の神様が語る話し言葉を通して,この民数記とおんなじ境地に至ることができますから。

 

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