セルゲイ・ナルイシキン さんセルゲイ・ナルイシキン さん 。ご存じですか? 私は知りませんでしたね。 昨日の「クローズアップ現代」で、国谷裕子キャスターがインタヴューしていました。笑...
私どもは、世界の中心にいたいと同時に、≪私たち≫と呼べる「私たち」とも一緒にいたい私たちなのです。ちょっとわかりずらい?
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p89の、下から9行目途中から。
自我が外側の現実に適応することだけを話題にするまでは十分ではないのには、人間関係を心理的に見た時、その理由がいくつもあるからです。というのも、あらゆる人間の適応には、葛藤がゴマンと付いてくることになっているように、自我が適応を切り盛りするものと言える時までも、すでに、適応するいろんな経験を吸収したり、強力に自分を支えものを内面化しているからなんですね。実際にフロイトは、現実のドイツ語のひな形である、Wirklichkeit ヴィルクリッヒカイト (「うまくいく」ことと関係します)は、幅広い領域で、イキイキ・ピチピチ生きていることであると同時に、やり取りして生きている意味ですから、普通は、actuality アクチャリティ「やり取りのある現実」と訳すべきですし、「お互いには働きかけ合うこと」という風に理解すべきです。
とっても大事なところですね。短いところですが、非常に大事たところです。
「現実」と言うと、客観的な事実くらいにしか、考えていないことが多いんじゃないですか? ですが、それは大間違いです。現実には、やり取りのある現実が、同時に、イキイキ・ピチピチ生きる現実でもある、そういう現実もあるからです。あまり知られていないことですが、フロイトの現実原則とは、そういうやりとりがあって、しかも、イキイキ・ピチピチ生きる現実に適応するという意味であることを、エリクソンはハッキリ示してくれています。
この現実は、エリクソンのエピジャネシスのライフサイクルを理解する上でも、とても大事な視点です。
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