ルターの耳鳴りは、本当の自分からのメッセージでした。そのメッセージを虚心に聴くのが、祈りです。それ以外の「祈り」は、祈りではありません。お願いです。願掛けです。神社でやるとの同じになっちゃってることに、早く気づくと良いですね。神道信者の「ヘボなクリスチャン」⁉
Young Man Luther 『青年ルター』p.244の、第2パラグラフから。
私どもを忘れてはならないのは、癒しの力があり、黙示録的な聖書の言葉は、ルターの心には「耳」から入った、ということです。すなわち、聴く耳があって、しかも、聴く心があったわけですね。心の耳を開いて、聖書の言葉を聞きいれることは、本物のクリスチャンが身に着けている創造的な受け上手の態度であると同時に、女性的な受容性です。しかし、ルターの耳に届いた、あの声は、またしても、悪い良心の声でした。「お前は何を伝えてきたんだぁ!」
心の声を聴くこと、悪い良心の声がでしても、さらにその奥にある、良い良心の、か細い声を聴きとることが大事です。本物は、謙虚で、真実で、目立ちません。
大声で、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが言うことや、自分の顔を映したいだけの「プレアウォーク」は、 ”真っ赤な偽物” と相場が決まっていますよ。
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