日本の公教育の病理 その4 「共の見通す」ことの大事さと一人の大人今の日本の学校は、東電や例の「一流デパート」「一流レストラン」に優るとも劣らないくらいウソとゴマカシの組織になっちゃってるんですね。それだからヤクザナ教員が幅...
昨日の夜、中川翔子さんの家族の歴史を振り返る番組「ファミリーヒストリー」がありました。私も録画でさっき見たんです。ご先祖様に、札幌農学校の1期生がいるという話でしたからね。私も無教会の一員として、札幌バンドの流れにありますし、内村鑑三の文書もだいぶ読んできましたから、札幌農学校の1期生と2期生には、強い関心があります。
でも、1期生に「中川」と言う苗字の人はいなかったなぁ、高祖父って誰なんだろうか?と思いながら、番組を拝見しましたら、それがなんと、伊藤一隆だと分かって、私も驚きました。内村鑑三は、2期生では、5000円札だった(?)新渡戸稲造と、北海道大学教授で、植物学の宮部金吾と親友ですが、1期生でしたら、大島正健、そして、中川翔子さんの高祖父、伊藤一隆と仲がいい。実際、札幌農学校を卒業して内村が務めたのは、北海道開拓使で水産担当です。これは伊藤一隆と全く同じコースです。また、受洗50周年を東京の青山墓地でした時、集まったメンバーの中に、内村と伊藤一隆がいるくらいです。今日の題字にある、内村鑑三がおこなった、伊藤一隆の弔辞(『旧内村全集』第19巻pp.304-311)の中に、内村がいろんな相談を伊藤一隆にしていたことや、伊藤がずっと内村に対して、献金などの協力をしてきたことも語られています。この伊藤一隆が、札幌バンドで最初に洗礼を受けた人となりました。「札幌バンド会員1番」(こういう番号は、実際にはありません)は、伊藤一隆です。
この弔辞の中で、内村鑑三は、伊藤一隆のことを、「エニグマ、謎」と繰り返します。水産業でも石油事業でも、成功して、多額の利益を得ていたのに、自らは終生、貧しいままだった、それをエニグマに数えます。東京の芝神明前の生まれた生粋の江戸っ子なのに、粗野ではなく、また事業に悉く成功して富を作ったのに、それを私しなかったことです。それを内村は「無視無欲の志」と呼びます。
今どきのウソとゴマカシだらけニッポンには、中川翔子さんの高祖父、伊藤一隆の「無視無欲の志」くらい、大事なものはない
と、この番組を見て、そう私は思いましたね。
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