ルターは思いがけずに、劇的に変化をした人でした。
Young Man Luther 『青年ルター』p205の第2パラグラフから。
マルティンが霊的な回心をしたのが、汚い場所だったかもしれないとすることを拒絶する人たちは、聖パウロが、てんかん発作を起こしてたことを忘れてんですね。身体的発作は、お尻の筋肉が上手く働かないことと重なる場合が多いのにね。また、そういう人たちは、気持ちの経験と、霊的な経験が1つとなるような、心身に渡る関わりを否定しますもんね。学者連は、自分達が着想を得る時と同じに、椅子に腰かけた時に、霊的な回心が起こると考えたいんですね。
ルター研究の時も、今も、学者連のやることと言ったら、ですね。さすがはエリクソンは臨床家であって、その臨床に誠実な研究者でもあったので、とってもクリアーですね。ですから、ルターの回心の場が、トイレだった、ということはとっても大事なことでした。
聖霊は場所を選ばない。
研究も本当の着想は、机上でないことの方が多いのにね。
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