ヌミノースは、集団を包むものであると同時に、集団を超越します。集団を超越しない時、あらゆるケダモノの始まり始まり…。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p45の最終行途中から。
君主制は、宗教や芸術が「我こそはヌミノースを養うものなり」と主張するのと、競い合ってきましたし、現代では、政治的価値が、たくさんの旗印の下で増えた指導者の顔と共に、このヌミノースの働きを受け継ぎました。でもね、疑い深い観察者たち(この観察者には、強力なセラピーの他に、専門職としての「運動」を共にしつつ、壁にはフロイトの写真を飾り、英雄的な前史をセラピーの価値とする臨床家も含みます)にとっては、このようなすべての人を包み込み、人智を超えもする経験に対する必要性を、子どもの経験に部分的に退行するものであるとか、あるいは、いろんな社会病理だとか、考えることは、安易に過ぎることです。このようなすべての人を包み込み、人智を超える存在とも繋がる必要性は、その必要性に関わるあらゆる発達と歴史の相対性のもとに研究しなくてはならないものですね。
ヌミノースは、深くて強い経験です。ですから、子どもの心理や社会病理としてだけ研究したのでは、全く足りないものなんですね。あらゆる宗教や文化とも相亘るとともに、個人にとっても、本来なくてはならない、エッセンシャルなものだけに、発達と歴史をジックリと考え併せて研究する必要がある、という訳ですね。深~いですね。
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