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エリクソンの文体,以前にも,ジョアンとエリックの文体を比較したことがあります。ジョアンの文体は,短く,明快。エリックの文体は,長く,分かりづらい。そんな感じのことを申し上げました。
その後,さらに気づきが重なって,かなり違う理解に進むことができましたので,備忘録的にブログに残しておこうと考えました。
エリックの文体は,言わば,問題行動,チャレンジング・ビヘイヴィア。
子どもの問題行動を見るときに,「悪いこと」として見る,表面的見方と,「いいこと」が隠れていると見る,深層的見方がありますね。他の子をぶつことは,「悪いこと」と表面的見方をすれば,「やめなさい」などと「指導」という名の矯正と強制が入ります。しかし,他の子を打つのは,「仲良くなりたい」という気持ちが根底に隠されている,と見る,深層的見方も可能です。その場合は,「仲良くなりたい」気持ちを育て,上手に表現できるように,その子どもの気持ちを引き出す,本物の教育が出来ます。今のニッポンの学校では,絶滅危惧種のアプローチであることが残念ですが。
エリクソンの文体も,問題行動。表層的見方と深層的見方ができる。鑪さんや西平さんらの翻訳は,表層的見方に留まっているから,エリクソンの伝えたかったことを空振りしています。深層的見方をする場合,非常に整った美しい世界の全体像を,非常によく考え尽された言葉遣いで,シンメトリーの建物みたいに,美的に表現していることがわかります。
なぜ,こんな文体になったのかは,この文体が,聖書と同じ文体でもあることを指摘しておきたいと思います。つまり,エリクソンが伝えようとしていることは,近代科学的な真理ではないんです。知ればそれでおしまい,というものではない。体験しなければ,理解することができない,人格的真理なんです。エリクソンが伝えようとしている神髄は,スピリットですから,それは,聖書の言葉と同様に,封印されなくてはならない。
ですから,読み手も,封印されたままの読み方では,鑪さんや西平さんみたいな表層的な理解しかできない。封印を解いて,2度読むと,文字通り,re-cognize (2度目に,知る,というほどの意味),「なるほど,ほんとだねっ」と判る。はっきりと言えば,聖書のギリシャ語が分からないと,エリクソンは,本当には分かりません。エリクソンの文献は,聖書のギリシャ語の “英訳” で溢れているからです。
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