エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

感覚を奪う暴力

2014-10-22 06:10:18 | アイデンティティの根源

 

 投影が起こると戦争ですから、無意識に投影せずに済むようにすることが、戦争を防いで平和をもたらす、真の「軍縮・非武装 disarmament」になるのですね。

 p357の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 暴力の挑発に対する応答を、こんな感じで示唆する以上に、荒々しくがま厚かましいことはないでしょう。面白いことに、事情通にとっては、左の頬を差し出すことは、けがをする侮辱にミスミス身をさらすことになります。マントまで与えることは、すなわち、裸になるということですし、あなたに1マイル行くように強要する部隊とはローマ軍の兵士たちでしょう。ここでは、ペリンでさえ幾分混乱して結論を急いでいる感じですが、その結論とは、「普通で自然な」人間性を「超えた、眼も覚めるほどの実例」になりがちなのは、「神のリアルな感じを真似る」ためだということです。でもね、ここでは、一度でいいから反対しなくちゃぁ、ならないんですが、イエスの現代の弟子、マハトマ・ガンジーの非暴力の策略を研究してきた基盤にたって、これが衝撃を与えたに違いなことが多いのは、攻撃的な敵が至極当然と考えている態度を大改造するためですし、攻撃的なはじめにある議論の余地のないほど明確で、ひとかけらの傷もないほど有利な立場を失うことであり、自分自身の行動を馬鹿げたほどにやりすぎなのはしいられたことだと、感じさせるためなんです。というのも、人間が暴力をふるうと、攻撃した自分自身に対してさえ「自然な」あらゆるものをほとんど全く感じなくなるからなんですね。それは、子どもに対する暴力であっても、大事な人々に対する暴力であっても、宣戦布告した敵たちが呼び起こした暴力であっても、変わらないんですね。

 

 

 

 

  カウンセリングの理想の状態が、感覚が研ぎ澄まされているのに、何も考えない無心な状態であるとすれば、その逆は、鈍感で感情を失っている状態でしょう。鈍感で感情を失うのは、まさに暴力をふるっている時であり、他者を攻撃している状態なんですね。

 内省をするためには、暴力や攻撃を避けなければならないゆえんは、まさにここのあるんですね。

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