神はすべてを創造された。人間には自由に振る舞えるゆとりがあるのかどうか?が大きな問題になりますね。
Young Man Luther 『青年ルター』のp185の第2パラグラフから。
アリストテレスは、プラトンには手を付けませんでした。むしろ、ブラトンを補いました。すなわち、神は、ソラ・グラティア、「ただただ惠み」(エフェソの手紙 第二章5節)なのであって、神は2つを、すなわち、クオド・エステ・エクス・グラティア、恵みから出たもの と、クオド・エステ・エクス・リベロ・アルビトリオ、自由意思から出たもの の区別することを依然として大事にしていました。自由意思から出たものは、神が人を大事に思う気持ちから生じたものですし、人は、神から賜った理性と自由意思によって、全うできるものです。神は唯一の存在ですし、あらゆるものにとって、その存在の原因ですから、神ご自身が不可欠です。しかしながら、アリストテレスは、理性と意志に大きな自由、遊びを与えたことも確かでした。
難しい神学論が展開していると、お思いの方が多いでしょうね。
私も自戒を込めて申し上げるのですが、ここは非常に大事なところなんですね。なぜならば、人間にとって最も大事な「自由」がテーマですから。この「自由」こそ、あらゆる基本的人権の最も根源的部分だからです。フランス革命の標語を思い出してください。「自由・平等・博愛」でしょ。その最初に来るのが「自由」ですね。一番大事だから、一番大事なものを最初に持ってきたわけです。
それから、日本の学校教育で最も欠けているのが、この「自由」です。管理教育の方が主流だからですね。
それから、政治。「自由」が国民にないでしょ。地域で、会社で「自由」にしてます? 上司や同僚からの評価にビクビクしてませんか? 周りを気にしながら生きてません?
「自由」の大事さが分かりますよね。
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