フロイト性理論は19世紀末にあっては、革新的でしたが、今は陳腐。変革力を持つためには、「鼻つまみ者」の汚名に甘んじる必要がありますね。
本日はp35の最後のパラグラフ。
私がフロイト理論を批判するのは、フロイトが性を強調しすぎたからではありません。むしろ、フロイトが性を深く理解できなかったからにほかなりません。フロイトは、人と人が繋がっていたい情熱が重要だと発見するという、最初の一歩を踏み出しました。フロイトは自分の思想的な前提に従って、その情熱を生理学的に説明しました。精神分析が一層発展する中で、フロイトが用いた概念を正し、深めていかなくてはなりませんが、それは、フロイトが気付いたことを、生理学からではなくて、生物学と、≪今の日本に、絶望せず、悲観もせずに、踏みとどまって生きる≫という視点から、見直すことによって、フロイトの概念を正し、深めなくちゃいけません。
生理学だけでは足りない。生物学と、今の日本に悲観も絶望もせずに、踏みとどまって生きる、という視点から、再検討することが大事です。
その点、最近、東北大学名誉教授の宮田光雄先生が出した、岩波ブックレット『われ反抗す、ゆえにわれら在り ―カミュ『ペスト』を読む』は、大変参考になりますよね。
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