私ども、クリニカル・サイコロジストには、カウンセリングやセラピーの基本として、カール・ロジャースの基本的態度があります。3つの態度です。1)「無条件の肯定的配慮」、2)「共感的理解」、3)「純粋」、ないしは、「自己一致」です。どれも難しそうですね。これはあくまで理想形で、それが完全にできている人はいません。しかし、その理想形を実現できるわけではないけれども、だからと言って、それを「どうせできないんだから」と諦めてしまうのではなくて、それに向かってひたすら近づこうとする謙虚な態度ですね。
1番目の「無条件の肯定的配慮」とは、相手を「〇〇が出来たら、OKです」という条件を付けずに認めていくことです。ですから、「ありのままの相手を『OKです』と認めること」がこれに当たります。
2番目の「共感的理解」とは、「客観的理解」と対照的です。相手を突き放して理解しようとするのではなくて、繋がりを見つけながら理解したいという態度です。「何とか繋がりはないかな?」、「理解したいなぁ」とこちらが思って関わったら、相手にもそれが分かる場合が多い。それが≪繋がり≫に結びつくんじゃぁないかしらね。
3つ目の「純粋」ないしは「自己一致」。3つの中でこれが一番大事になります。これがないと、後の2つは不可能だからです。「純粋」ないしは「自己一致」、セラピストが自分の気持ちに誠実であることです。エリクソンの言葉で言えば、「≪私≫という感じ」、「自分の感じ」に正直であることです。これは、セラピー場面だけでできると思ったら大間違いで、日常生活の中で、根源的信頼感、自分の感じを法則としていい感じ(オートノミー自律の感じ)、自分の感じに従って行動を始めてもいい感じ(イニシアティブの感じ)…と積み重ねていくことが大事になります。そのいる中で、相手の人の「自分の感じ」にも、共感できますし、肯定的配慮もできる、ということです。
セラピーやカウンセリングでは、いろんな技法、セラピー、検査、道具を使います。すると、ややもすると、そういう検査・道具、技術が上手くなることが、良いセラピー、良いカウンセリングだ、と言う誤解が生じやすい。でも、その時に、ロジャースご推薦の態度はどうなるんでしょうか? そんな態度はなくても、検査や技術が上手ければいいのでしょうか?
これは本末転倒なんですね。検査や道具の扱いがたとえ下手糞でも、この態度が良ければ、検査などが上手なだけの人よりも、遥かに良いセラピーやカウンセリングが出来るんです。論より証拠です。検査や道具の学びが不必要だ、と申し上げてる訳じゃないですからね。でも、それは中心的課題ではなくて、第2の課題に過ぎないことを忘れてはならない、ということです。
ロジャースの例の3つの態度は、実は、人格のことなんですね。でも「人格」などと言われても、格調高いとは思っても、具体的なイメージが持ちにくい。ロジャースは、人格を具体的にイメージで言いあわらしたのが、この3つの態度なんです。
心を病んだ人にとって、最良の薬は、人格です。人格を具体的に示すことが出来る人との関係です。
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