エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

命を忘れがちな技術偏重の見方

2015-12-03 07:00:36 | エリクソンの発達臨床心理

 
日本の公教育の病理 その2 ヤクザナ教員に、パレーシア
  日本の公教育の病理は、「言ってること」と「やってること」のかい離にこそある。そういう組織は、ウソとゴマカシの組織になりがちなことは、火を見るより明らかですよね...
 

 エロスは、本来、神羅万象すべてを大事にするもので、精神分析は、そのエロスの働きを前提とするものらしい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p96の、4行目途中から。

 

 

 

 

 

しかしながら、この普遍的な技術というイメージがもらたす世界、メディアが作り出しがちな世界は、厳密に、論理と科学技術の原理に従って計画された、全部ねつ造された秩序になりがちです。それは、私どもが今この本で強調していることを忘れる危険性のあるヴィジョンです。すなわち、心と心が響き合わない、反発を覚える傾向で、命をもって、この世に生きていることや 人と分かち合う秩序を忘れがちです。魂の生活の生態は、実は、この命を持って、この世に生かされていることと、人と秩序を分かち合うことに頼っているのですがね。

 

 

 

 

 科学技術は素晴らしいものです。しかし、それを過信すると、科学技術がもたらしてきた公害や人間が機械扱いにされる面を忘れがちになりますでしょ。とくに、人間の魂の生活は、命を戴いてこの世を生きていること、秩序は人と人と分かち合う中で生きているということを忘れがちになるんです。これは非常に危険なことです。

 先日このブログでも記しましたように、クリニカル・サイコロジストの仕事でも、心理検査やソーシャル・スキル・トレーニングなどの技術に偏り過ぎると、セラピストとして欠くことが出来ないエッセンシャルな態度を失ってしまう、という、本末転倒になりがちです。

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