エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : 心を育てること 自分を育てること

2016-05-09 02:08:28 | 聖書の言葉から

 

 

 
後藤健二さんとマザコン宰相(最小)
  マザコンの弱虫。マンガ『ドラえもん』で言えば、スネ夫ちゃん。金持ちを鼻にかけ、自分は弱虫だから、いつも乱暴者のジャイアンにすり寄り、「虎の威を借る狐」よろしく...
 

 今晩は、もう一度、松居直さんの言葉を学びます。今日の言葉を探すために本棚を見ていたら、紛れていた『NHK人間講座 絵本のよろこび』が見つかりましたから。

 

 

 

 

 

 私たちの育ちの初めに、言葉があったのです。赤ちゃんはその言葉を飲みこみ、食べるとともに、気持も一緒に感じとります。語りかける人の情愛のこもった声の言葉が、赤ちゃんの気持をめざめさせ、心を育てます。…人の成長の出発点にあった体験は、誰かと "共に居る" 体験でした。まず自分があったのではなく、お母さんという他者(あなた)に気付いたのです。他者がなければ自分もありません。

 

 

 

 

 

 赤ちゃんが0歳1歳2歳の頃は、意識してお母さんが、弾んだ言葉、温もりのある言葉、歓びに満ちあふれた言葉、イキイキ、ピチピチした言葉を、シャワーのように、繰り返し赤ちゃんに浴びせかけてほしい。朝、昼、晩、何時間も赤ちゃんと一緒に時間を過ごして、情愛のこもった言葉を、骨に沁み込むくらいプレゼントしてほしい

 私という意識は、「共に見通す」という意味ですが、「共に見通す」ためには、「共に居る」ことが、絶対に不可欠でしょ。子どもの心を育てたいと願うのであれば、0歳1歳2歳の頃に赤ちゃんに情愛のこもった言葉をプレゼントする時間を、ゆったりと、落ち着いて、歓んでプレゼントしなくっちゃね。そうしたら、その子はしっかりとした自分を育てることができますからね。自分の根源的土台である、根源的信頼感が揺ぎ無いものになっているからです

 

 逆に、0歳1歳2歳の頃に赤ちゃんに情愛のこもった言葉をプレゼントする時間があまりないことを、「ネグレクト」と言います厚生労働省やマスコミなどは、「ネグレクト」と言ったら、食事も与えない、着替えもさせない、風呂にも入れない…などと言う酷い状況との誤解を意図的に広めていると、私は考えています。もしネグレクト」ということが、子どもとゆったりとした時間が取れないことだと言ったら、「長時間労働」や「育児休業を補償しないこと」などが、政治的無責任であることが、バレちゃいますでしょ

 

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