ルターも気づいたんですね。自分が苦しんで、悩んで、死んじゃいたいなぁと思ってたことに、計り知れない価値がある、ということを、聖書の御言葉に見つけた時の感動ですね。それがあればこそ、聖書の御言葉がまるでスポンジに水がしみ込むように、ルターの心に染み入っていったわけです。そのルターの言葉にも、聴く者の心に沁みこむ力があったのは、その恵みです。
Young Man Luther 『青年ルター』p211の最初から。
詩編講義で25回、ロマ書講義では1回だったのに、ルターは、パウロの「コリントの信徒への第1の手紙」から、対応する2つの聖句を引用しました。まず最初の聖句は
「22. ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
23. わたくしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまづかせるもの、ギリシア人には愚かなもの
25. なぜなら、神の愚かさは人間たちより賢いから、神の弱さは、人間たちよりも強いから。」(訳注:「コリント人への第1の手紙」第1章22~25節)
二律背反に満ちた、神の愚かしさと弱さはルターにとっても、神学的に揺るぎないものになります。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、人間の美点は普遍的、ともシンクロしてますね。神の愚かさと弱さには、計り知れない価値がある、という訳ですね。神様のバカに徹するとね、この世的な価値を≪超越≫する視点を戴けると同時に、この世的な価値を≪超越≫する生きる指針に忠実に生きる生き方に道が開かれますよ。
「視点の変化」だけでは、生きる指針までは変わりませんよ。松ちゃん!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます