エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

加藤周一さんの、「関係に誠実であること」と「自由」

2016-08-14 05:20:58 | 間奏曲

 

 

 
あなたは、間違いに対して、ハッキリ「NO」が言えますか?
  本当の自分を組織化するためには、それなりの時間が必要です。でも、単に時間を過ごしてるだけでは、組織の同調圧力や利益誘導にかないませんから、いつまで経っても、本当の自分を......
 

 昨晩は、「ETV特集「加藤周一 その青春と戦争」」という番組がありましたね。私は、就寝時間が早いので、先ほど録画で拝見しました。中身はなるほどね、やっぱりね、という感じでしたね。自由が、加藤周一さんにとっても、最も大事なものだった、ということです。さらに申し上げれば、その自由をどのように使うかかが、決定的に大事で、その自由を大切に使ったのが、加藤周一さんの生涯であった、と強く感じた次第です。

 番組の中で、加藤周一さんがなくなった後に、机の上に残された草稿が紹介されましたね。その中に、加藤周一さんは、「私は戦争で二人の親友を失った。もしその彼らが生きていたら、決して日本が戦争への道を歩み出すことを黙って見てはいないだろう。…私は親友を裏切りたくない」という一文があることを知らされました。加藤周一さんの戦後の活動は、執筆活動も、講演活動も、反戦運動などもすべて、戦争で殺された親友との関係に誠実でありたい、との願いを実現するためのものだったことが、ハッキリ再確認することが出来ました。

 今日は、そのことがハッキリと出てくる件をご紹介したいと思います。『私にとっての二〇世紀』から。

 

 

 

 

 いろいろな個人が連帯感をもって地下運動をやる。しかし、連帯が補償されるのは、究極的には自由意思の問題です。どちらへも動ける。同志との連帯を取るのか、あるいは裏切りを取るのかということは、その場に臨んでの個人の自由です。

 

 

 

 

 

 

 この自由を、組織に従属するため、「強いモノ」になびくために使うのではない。

 無念な思いで死んでいった者、弱い立場の人との関係に誠実、を体現するために、自由を使う者こそ、幸い

 

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