人間には、自由に振る舞える、その自由が何よりも大事なんですね。自由=人間。自由でないものは、すでに人間であることを止めた証拠になります。
Young Man Luther 『青年ルター』のp185の11行目途中から。
「創られし者が創造性を発揮すること」により、人は自分を価値付ける誰にも頼らないやり方で自分を確かにすることができる訳ですね。神学的に申し上げれば、この過程こそが、世界の中にハッキリ現れる「秩序」から神の善性を読み解く一つになります。人がこのような観照する力を発揮することができるのは、形式と類似点、イメージと考え方についてよくよく考えてみることによってです。人は、因果関係を確立し、終いにはそれを経験に翻訳できるようになります。こうして人は、神のご計画とそのご計画の実践を手助けする者となれます。アウグスティヌスにおいては、あの世とこの世を縦に行き来するものが、信頼と大事にする気持ちでした。聖トマスが付け加えたのは、その形式と秩序が行き来することに対する認識でした。
神谷美恵子の観照の目がここに出てきますね。この世の秩序を見るのには、この世にぴったり寄り添う姿勢と、この世から我が身を離す様な姿勢という、二律背反の姿勢が必要です。
この世を観照する時に、人の自由もまたあるんですね。人は創造された者でありながら、神の創造のご計画に参加することも、そのこ計画を実行することも、また許された存在にされるわけですね。それが、人が自分を確かにする道、アイデンティティなんですね。
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