穏やかに、しかも、ハッキリと、NOと言えるまで光は微笑み やり取りがあって初めて、子どもは、はじめて、オートノミー自律と意思を育むことができます。 p232の20行目途中から。 .........
けさも本田哲郎神父様『釜ヶ崎と福音』から。p.43から。
福音を、「喜びの知らせ」というように漠然ととらえるよりも、貧しく小さくされている人たちを通して神が働かれることを信じて、その人たちの痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りを共感しながら、その人たちと連帯する。…
聖書に、「福音を述べ伝える」ということばがよく出ます。多くは「ケーリュッゾー」というギリシア語です。これは普通「宣べ伝える」とか[告げ知らせる」と訳していますが、正しくは「身をもって告げ知らせる」です。いま、わたしは福音についてベラベラしゃべっている。これなど決して御ことばを伝えていることにはならない。…大事なのは「身をもって告げ知らせる」ことです。それは、受肉していなければできない。受肉してはじめて説得力のある「ことば」になり、実質的なコミュニケーションを可能にします。…生きざまをもって語る、「身をもって告げる」ことができてはじめて、福音を、御ことばを告げ知らせることになるのです。
言葉を示すヘブライ語は「ダーバール」。でも、ダーバールは「ことば」であると同時に「出来事」でもある。いつでも、ことばは、「出来事になることば」、「受肉したことば」、「現実になることば」です。日常的なことばで、申し上げれば、「言ってること」と「やってること」が一致していることです。
福音は、ウソのない生活の悦び、ということになります。
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