エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

光を求める心

2015-07-02 02:39:07 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪真の関係≫は、心の向き(オリエンテーション)、心の態度
  今日から、第三節「≪真の関係≫で大事にする、いろんなこと」に入ります。p43最初から。  &n...
 

 1年前のThe Art of Loving 『人を大事にする術』では、「自分にとって大事な人だけを大事にするのでは、自己中心と変わらない、増長した自己中心だ」とされます。フロムが推奨していたのは、宮沢賢治と同様、「人間すべてを大事にする態度」です。弘法大師さんの言う大悲も、同じなのかもしれませんね。

 『日本語大辞典』(講談社)で「心構え」を引きますと、「覚悟すること。用意。心組み」とあります。また、「心組み」を引きますと、「前もって心掛けること。心構え」とあります。私の語感ですとね、「覚悟すること」と「前もって心掛けること」では、随分と感じが違いますね。「覚悟すること」は、「前もって心掛けること」と比べたら、随分と心の深いところからの備えと、それに基づく、例外が許されない態度が必要になる感じですけれども、「前もって心掛けること」は、もっと浅いレベルのもので、「心掛け通りにできたらいいけれども、出来ない場合があっても仕方がないなぁ」という感じです。ただ、あくまで私の語感ですから、さだまさしさんの例の番組ではありませんが、「意見には個人差があります」とでも言っておきましょうか。

 エリクソンが心の向きと言うときには、orientation オリエンテーションという言葉を好みます。エリクソンは、心には「時空を伴う心の地図」、4時限の地図があると言うのですね。しかも、その地図には、向きがあり、その向きのことをオリエンテーションと呼びました。「オリエンテーション」と言ったら、大学や会社に入った時など、最初に受ける説明、道案内的な、新人向けの講座でしょ。心理学では、「定位」、「見当識」と呼ばれます。難しそうでしょ。「時間と空間と人間関係の中に自分自身を位置付けること」、すなわち、「自分は2015年7月2日午前11時45分に、国立駅近くの増田書店の地下1階の人文学の書の前で、大学の友人の岸田と、加藤周一さんの『日本文化における時間と空間』を探している」と言うように、時間と空間と対人関係の中に自分自身を位置付けることを言います。それが分からなくなると、それは重篤な心の病気「見当識障害」、「認知症」だと言われてしまいます。これでも難しいかもしれません。

 エリクソンは、実にクリアーですよ。オリエンテーションは、オリエント(東)から派生した言葉です。人間の心の向きは、オリエンテーション、東向だ、という訳ですね。それは、日本人が「御来光」を大事にする心と似ているものですね。太陽は必ず東から上がるものでしょ。まさに日乃本、「日本」そのものですね。

 オリエンテーションは、東向ですから、常に「光」を見ている感じ、より正確には、「光」を待ち続けている感じ、です。人が「御来光」を見る時のことを考えてください。先日、富士山が山開きだったそうですね。夏の間、実にたくさんの人が富士山山頂を目指して、そこからの「御来光」目当てに登ることでしょう。なんか神々しい感じ、得も言われぬ感動を味わいたくて、あの登りにくくて下りづらい、がれ場の多いところを人は登る訳ですね。

 エリクソンはその「光」には2つの属性がある、と言うんですね。それは「明るさ」と「温もり」です。「なるほどなぁ」、って思いませんか? 人が心底求めているのは、「明るさ」と「温もり」ではないかしらね。お金や名声も悪くない、でもね、それは一時の事じゃぁないかしらねぇ。もっと深いレベルで求めているもの、最深欲求では、「明るさ」と「温もり」でしょ。「明るさ」とは≪陽気で楽しい≫感じであり、物事をハッキリと捉えること。「温もり」とは、たとえ貧しく惨めで、ふがいなくても、許され、価値あるものと認められた時に感じる、感謝と結びついた晴れやかな悦びでしょ。

 

 心はいつも東向

 いつも何度も、光を探す

 

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