世代を繋ぐ親子の関係なども、本能的な力であるのに、今の日本では、それさえ危うい時代です。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p52の第3パラグラフから。
心理・性的な理論は、ライフサイクルの発達の目標は男女が性的なポテンシャルを持ちつつやり取りすることである、と描きます。心理・性的な理論は、大人が成熟することを重要視しますし、ほとんどの大人が不安神経症にならずに済むのは、この男女のやり取りがうまくいくかどうか次第だ、とします。しかしながら、どんなものでもこのリビドー(生きるエネルギー)が、心理社会的な発達に変わった場合に、効果がないのは、私どもが見てきたとおり、世代交代のために役立つような関わりもなければ、同時に、情熱的な、あるいは、夢中になる関わりもない場合です。したがって、真実に完成した心理・性的理論の論理が求めていると言い得るのは、子孫を産み、養うことへと向かうある種の本能のような力は、人間の本性においては、動物の大人が子孫を産み育てる時の本能的な関わりと対である、ということです(ベネディック 1005)。このように、表1のA欄を埋めるように、私どもは(親のテーマ)出産する舞台を一つ、付けたします。この出産する舞台が示すのは、ジェネラティヴィティ、generativity 次世代を育む本能的な側面です。
子どもを産み育むことは本能的な要素です。それがここでのエリクソンの主張でもあります。しかし、それだけではありません。産み育てるのは子どもだけではないからです。産み、あるいは、育てるのは、仕事や教育、技術や芸術、あるいは、同僚や部下の場合もあるかもしれませんね。
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