聖書を原典(旧約聖書は主としてヘブライ語、新約聖書はギリシャ語)から翻訳し直して、ローマカトリックの間違いと、聖書の真理を発見したルターは、聖書から新たな力を得ることができました。
Young Man Luther 『青年ルター』p199の第3パラグラフから。
中世の世の中は、聖書の素材を解釈するのに、4つの方法がありました。逐語的に(リテラリティア)とは、テキストの実際の歴史的な意味を強調することです。寓話的に(アレゴリス)とは、聖書に出てくる出来事をキリスト教史の象徴として見ることです。道徳的に(トロポロギス)とは、聖書の素材を、信頼の豊かな者にとって正しい行いを比喩的に表現しているものと見なします。神秘的に(アナゴギス)とは、聖書の素材を、来世について語られたものと見なします。ルターはこの技法を自分の目的のために使いました。ただし、ルターは、誠実に一貫性を持たせようと努めました。たとえば、旧約聖書で割礼を求められることは、眼に見える仕事は大事でないと予言したものであるけれども、この解釈は、また、割礼の約束は、男の自惚れの元になる大事なところを傷つけることによって、謙虚さを強調したという考えも表すものと、ルターは感じていました。ルターは倫理的な研究を続けていくと、次第に他の聖書釈義の技法は捨てていき、道徳的技法だけになりました。すなわち、「道徳的解釈は、聖書で一番大事な意味である(tropologicem esse primarium sensum scripturae)」。ルターにとって、聖書は、いまここで、信頼が豊かなこと(根源的信頼感)に対する神様の助言でした。
エリクソンの根源的信頼感は、こうして、ルターの聖書解釈に関わるものでした。
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