性差をどれだけ認めるかで、男も女性も、性役割が変わってきます。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p38の第2パラグラフから。
交互に「無理矢理入る」やり方をしたり、「全部を飲み込む」やり方をしたりしていると、もちろん、男の子が子ども時代に葛藤を抱くことになります。体に強く関心を持つ頃ですね、女性器を見ると、男の子は去勢されることを恐れるようになりがちだ、ということも本当です。去勢されることを恐れると、自分に女性性があると認めることを抑制することに繋がるかも。でもね、よくよく教育された場合は、女性性を表現することも許されますから、男の子たちの中に、熱心に動き回ることや、最終的には「無理矢理に入る」男性器にも相応しい、世話をする性質を育むことになります。
生物学的な性差を認め合う社会は、教育が行き届いた文化です。生物学的な性差に価値の高低を認めず、社会的な男女平等を認めるからです。それは、社会的な男尊女卑の文化の中で、男も女も意識的に「女性を優先すること」、すなわち「レディ・ファースト lady first」を実践して初めて可能になるんですね。それは男を優先する習慣を当たり前と思わず、それに疑問を持つことから始まります。それには教育が必要です。
たとえば、男社会では、「女がやること」=女性の性役割は、軽く見られますでしょ。子育てや、家事や、お茶出し。日本では、教育現場でさえ、女性の性役割とされる役割は軽く見られ、実践されませんからね。
教育が進み、男女同権が進むほど、男が女性の性役割を進んでやる社会になります。それは、男にとっても、女性にとっても、解放される体験です。
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