私どもは、神様の恵みがあるから、スピリチュアルな人になれると言います。
Young Man Luther 『青年ルター』のp184の第2パラグラフから。
アウグスティヌスにとって、コンカピセンティア、情欲とは貪りでした。ですから、そのように、リビドーは、人でなし、ではなくて、人でなしの要素です。すなわち、リビドーは、人が「一致」すれば、罪になる訳ですね。人を大事にしようとする自由な活動によって、神様は人間に自分自身の衝動で自分を確かにしようと「しない」能力をお与えになれます。それでも人は人でなしをやるので、いつまでも神様がミゼリコーディア・インデビア、思いがけない慈しみ、すなわち、神の憐れみをお与えになる訳ですね。神の憐れみは、それに相応しくない者ももらえます。
なんと素晴らしい憐れみでしょうか?
なんと素晴らしい慈しみ深さでしょうか?
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