The life cycle completed 『神様の命の一巡ができました』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p85の、線の下から。
エリクソン理解が深まりましたから,3年ぶりに改訂します。
私と私たち
自我防衛を論じた後は、「自我心理学」と呼ばれたりするものに戻る時でしょう。今日では、同様の意味で、「自己心理学」という言葉にも出合います。私自身は、対人関係に心が現れると見なす理論と,「自我心理学」「自己心理学」という心理学の方向性を、関係づけるとしたら,二律背反していますが、ひとりびとりの人にとって最も個人的なことであると同時に、「私たち」という仲間という意味にとっても、最も根源的なことでもあるものを議論しなくてはならない,と考えますね。つまり,「私が生きている実感」のことですが,この「私が生きている実感」は、五感を働かせ、考える存在に神様が創造してくださり,言葉もプレゼントしてくださっていることに、ひとりびとりの人が気づく最も大切な気づきですし,人間はそういう被造物であるからこそ,たった1つの本当の自分(実際は,たくさんの自分達からできていますが)と向かい合うことができますし、1つの無意識的な自我という考えも形作ることができます。
「私が生きている実感」は、エリクソンの特別な用語で、アイデンティティと同様、中心的な言葉です。でもね、その割には知られていませんでしょ。エリクソンのことがほとんど判ってない,無知な専門家気取りの「専門家」達が,無知丸出しの紹介をしているからです。「日常生活を礼拝にする礼拝という真実な関係:リチュアライゼーション」もあまり知られていませんよね。
しかし,「私が生きている実感」は,「私が生きている実感」がない発達トラウマ障害がパンデミックである今日,非常に大切な課題になっています。
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