エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

早すぎる道徳は、禁物

2014-11-23 10:00:00 | アイデンティティの根源

 

 上辺だけが優しい大人が、「正しいことを押し付ける」事は誠に厄介。しかし、子どもは、傷つきのある子どもほど、その大人のウソとゴマカシにすぐに気づきます。

 p224の改行後。

 

 

 

 

 

 この(黄金律が、敵の攻撃から守ってくれるだけじゃなくて、上辺は親切そうに見える人が「正しいことを押し付ける」ことからも守ってくれる、という)見方は、歴史の証明にもかかわらず、あまりに「臨床的」になり過ぎるといけませんから、私どもは進歩主義者たちが書いたものを見てみることにしましょう。その進歩主義者たちは、このに三十年の間に、超自我を進化した事実として、進化した危険として理解する精神分析に加わってきました。「発達の」原理は、このように、「進化の」原理と結びついています。ウォディントンは、「超自我の厳格さは人類にとって特殊になりすぎているかもしれない。それは後期の恐竜の、盛りすぎたウロコのようなものだ」とまで言うほどです。あまり大げさにならない比較において、ウォディントンは、超自我をなぞらえて、「一匹の宿主の動物でしか生きられないように適応した寄生生物の難しい適応だ」と言います。ウォディントンの本、『倫理的な動物』を推薦する際に、認めなくてはならないのは、ウォディントンの用語法は、私の用語法とは一致しません。ウォディントンは子どもの頃に道徳性に目覚めさせることは、「倫理的に振る舞うこと」に対する心構えと呼びました。私でしたら、それを「道徳的の振る舞うこと」と呼ぶのが良いと思います。多くの動物学者がしているように、ウォディントンは、幼子と幼い動物の類似について縷々述べるのですが、私は、幼い動物は、大人になる手前の、青年期を含む人間と比較しなくちゃあいけない、と思います。

 

 

 

 

 ウォディントンは、幼子が道徳性に目覚めることは良いことだ、と考えているのでしょう。だけれど、エリクソンは、あまりにも早く道徳性に目覚めることの害について、具体的事実をいろいろ知っていたはずです。私でさえ、早熟の道徳性が有害すぎることで、心痛めているのですから、エリクソンは、はるかにそのゾッとする事実を知っていたはずです。

 

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