≪究極の見通し≫が非常に大事なことがお分かりいただけたと思います。日本人は一般的に、それがないのが弱点です。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p64の第2パラグラフから。
私どもの心理社会的な結論を振り返ることを完成すること。すなわち、もしも、wisdom 「闇の中に光を見つけ出す叡智」に対して反感がこもった対になるものが、軽蔑ならば、こういった軽蔑が(あらゆる反感がそうであるように)、人間がもつ弱さやら、腐敗や虚偽が致命的に繰り返されてしまうことやらに対してあるのも、当たり前で必要な反応としなくちゃなりませんよね。現実に、軽蔑が否認されるのは、間接的ではあっても、破壊的で、大なり小なり、自分でも気付かない、自己嫌悪の、例の危険がある時だけでしょうね。
人って、自分の違うこと、特にその違いを理解できない場合、軽蔑することがよくありますね。でも、逆に軽蔑があると、軽蔑している、その相手を理解しようとする努力は怠りがちになりますよね。すると、ただ嘲るだけになる。あるいは、何とか打ち負かしたいと思うだけになる。
しかし、自己嫌悪が隠れてて、自分でも気付かない場合は、その傾向に拍車がかかります。その場合は、エリクソンが言うように、その軽蔑は止めるようにして差し上げなくてはなりません。本人も気付かない自己嫌悪がありますとね、それはすぐに、これも気づかぬうちに、「人間を上下2つに分けるウソ」の毒牙に、無意識裡にやられてしまいます。そうしたところに、あらゆるケダモノの悪行、腐敗、策略、ウソとゴマカシ、そして、人殺しが圧倒的でコントロール不可能な形で進むわけですね。
アベシンちゃんと悪魔の仲間たちは、その悪のカラクリに、すでにはまっている、悪魔の仲間たちです。
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