「二月六日、木曜日にダヴィデが死んだ。」この一文で始まるエッセイ「ダヴィデに」は、5ページほどの極々短いエッセイです。しかし、ここには、人間にとって、非常に大事なエッセンスが書かれているので、須賀敦子さんの文書の中で、一番好きなエッセイなんですね。
ダヴィデとは、このエッセイを書いている時から遡ること30年前に、須賀敦子さんがミラノで働いていた共同体、「コルシア書店(コルシア・デイ・セルヴィ書店)」の創業者にして修道士。この書店は、カトリック教会であるサン・カルロ教会の軒を借りた書店でした。 そのダヴィデが、このエッセイ「ダヴィデに」を含む本『コルシア書店の仲間たち』(文春文庫)が書き終わろうとした時に、死と言う終わりを告げた不思議を、須賀敦子さんは語ります。
真実は、内側から湧き上がって来ることもあれば、向こうから勝手にやって来る場合もあるんですね。いずれにしても、自分のコントロールの下で、真実を作り出すのじゃぁない。真実は、私とは独立して存在するんですね。須賀敦子さんの場合も、ダヴィデの死という形で、真実が向こうから勝手にやってきた、という訳ですね。
しかし、須賀敦子さんが言いたいのは、それだけじゃないんですね。私も同じです。須賀敦子さんが自分の理想を思い描いたコルシア書店を失った。それはダヴィデを始め、コルシア書店の仲間たちも同じだった、と須賀敦子さんは言います。しかし、人間は理想を実現するための共同体を失って、初めて分かることもある。それは、こういうことなんですね。
「その(コルシア書店の仲間たちの)相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣り合わせで、人それぞれ自分の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、少なくとも私は、長いこと理解できないでいた。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを怖れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」
そして、生まれたのが、この「ダヴィデに」ですし、『コルシア書店の仲間たち』です。
上手く出来てるでしょ。
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