岡部伊都子さん。ご存じだろうか?
かく言う私も、数年前にNHKの「知る楽 こだわり人物伝」という番組を見るまで、知りませんでした。Wikipediaによれば、1923年(大正12年)、関東大震災の年に裕福な商家に生まれ、2008年(平成20年)、今から7年前に亡くなった、エッセイストです。子どもの頃から病弱で、高校も結核のために中途退学しています。病床に伏すことも多かったらしく、裕福な家柄とは裏腹に、病と弱さと、そして、何よりも孤独をよくよく知っておられる方でした。
そんな岡部さんは、自分のことを「加害の女」(加害者)と戦後一貫して主張していました。相手のことを非難して、「被害者」を演じることが多い日本人としては、非常に珍しい、と私はこの人の文書を読むたびに思っています。なぜ自分が「加害の女」なのか? それは、自分が好きだった婚約者に、戦争に反対している本音を漏らしてくれた木村邦夫さんに、「私なら、喜んで死ぬけど」と言って別れ、それが最後の言葉になってしまったから。木村邦夫さんは戦死、戦争で殺された。
戦後、別の人と結婚したものの、岡部伊都子さんは、夫の浮気に耐え切れず、7年後離婚。30才にで筆一本で暮らし始め、その後は結婚せずに一生を全うしました。離婚した日を岡部さんは「独立記念日」と称していたとか。
その岡部さん。その後は、最初は母親と一緒でしたが、1人で生きてこられました。1人を怖れたり、1人から逃げ出したりせずに生きてこられた。ですから、人に媚びたり、人と群れたり、人と比べたり、人に迎合したりはしない。1人を大事にして生きてこられました。1人は単に一人ぼっちであるばかりではありません。1人は自分と向かい合い、自分が育っていく時間だからです。岡部伊都子さんは、そうやって自分を育て、自分を掘り下げて、自分を育てた好例でしょう。
岡部伊都子さん自身は、「孤独こそ人間を人間としてきたえる大切な要素だと思う」とおっしゃいます。
自分を大事にした岡部さん。戦争と差別に反対し続け、民主化のために使命を果たして生きました。
あなたも、あなたの孤独を大事にしながら、自分を鍛えて、花明りとする時としてくださいね。
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