#心の習慣を育てる のは,#寛容に #鷹揚にエリクソンの叡智 : #子どもにプレゼントしたい2つの品性 #それを手渡すのはお母さん 発達トラウマ障害(DTD)の人は、理屈に合わないくらい、自分を責......
今朝は,2年3か月ぶりに,The Galilean Saying and a sense of " I " から。『エール大学評論』1981 The Yale Review に載った一文です。
2年前に翻訳したものを,今宵たくさんの人にご覧いただいたので,読み直していましたら,翻訳しなおしたほうがベターかな? と感じましたものですから,翻訳しなおします。
以前書いたものを引用すれば,「エリクソンとジョアンの息子,kai Theodor カイが,エール大学の社会学の教授だったから,その関係で,この雑誌に寄稿したんだと思います。」
p.343. 第3パラグラフ冒頭。
イエスが治療の礼拝で用いたお祈りは,たくさん残っている言い伝えの1つにすぎませんが、全てがピッタリと一致し一貫したものでして,「自分の足でおたちなさいな」、すなわち,「復活なさいな」,ということだけでした(後ほど,詳しく申し上げます)。自分の足で立つと,すなわち,復活しますと,まっとうな大人は,誰にも邪魔されることのない,いまここにこそ有る,ギフト,今ここに臨在されるキリストが生きる中心軸の心が,キラキラと輝きますでしょ。それに比べたら,日曜礼拝の教えや自然の脅しなんぞはクソくらえ,ということです。
翻訳には,翻訳する人の品格?が,知らず知らずのうちに出てしまいます。野暮ったいの谷保育ちですから,かなり,お下品な翻訳になっていることを,どうぞお楽しみ…,いえいえ,お許しくださいね。
イエスと治療原理は,お祈りは,聖書の神様がひとりびとりの魂に打ち込んだ,吹き込んだ、キリストが生きることにこそあります。
キリストが生きたら,ザアカイみたいに,長血の女のように,べテスタの池の盲人のように,必ず,嬉しくて嬉しくて,飛び上がらんばかりに嬉しくて,しかも,穏やかに静かに落ち着いているんです。
それが聖書が教えているシャローム平和です。
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